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マゾ調教を受けた私の体験手記

誰にも言えない、私の秘密の体験手記です・・・

それは大学1年が終わった春休みでした。
私の家庭は貧しく、奨学金で学び、アルバイトで暮らしていた私に、生活費の援助と引き換えにある実験の被験者を引き受けてくれないかとの申し出がありました。

教授は実験の必要な研究をしているわけではなく、それは被虐実験でした。要するに、卒業するまでの3年間、教授のマゾ調教を受ける愛人にならないかということでした。

「君は大人しくて見た目が幼く清純そうだ。そんな朴訥とした女の子の方が相応しいんだよ。」

こうして私は月額10万円、処女である事がわかると、処女喪失手当て50万円で教授の被虐被験者となったのです。

教授は私を都内の古いマンションに連れていきました。そこは、教授が女子学生を連れ込んで陵辱するために借りているようでした。過去に、この部屋で何人の女子学生が辱められたのだろうと思いました。

教授は私に、被験時には私におさげ髪になるよう命じました。そして、セーラー服を着てマゾ調教をされるのです。

その様子は撮影されるから、日常と違う髪形のほうが、私個人を特定し難いだろうという配慮もあったと思いますが、私より綺麗な女子大生もいる中、小柄で童顔の私を選んだ教授にはロリ癖があることは明白でした。




数台のビデオカメラに囲まれた部屋で、私はセーラー服を着たままベッドに大の字に縛られ陵辱を受けました。そのビデオが編集された物を見せられました。

私の目にはモザイクがかけられていました。古典的なセーラー服を着た画面の私は、一見すると田舎の垢抜けない女子○生でした。

スカートをまくられパンツの上からバイブレーターで刺激されました。今まで感じたことのない強烈な快感に私の顔が歪んでいました。

「おやおや、処女だと言うのにパンツに染みができてきたぞ。」

足を閉じようにも縛られていてどうにもなりませんでした。そのパンツもハサミで切られ、私の濡れたワレメが露になりました。そのワレメに、直にバイブレーターで振動が与えられ、私はビクビク痙攣しながら自由の利かない体で必死に刺激から逃れようとしていました。

逃げるのも無駄骨で、疲れ果てて逃げる気力も失った私はされるがままになり、性的快感にガクガク体を震わせていました。

すると教授は、バイブレーターを私の膣口にあてがい、ゆっくりと挿入していきました。

「ヒィーーー、痛い、、痛い、ヒイイーーーーーー」

私の処女膜は陰茎ではなく、バイブレーターに突き破られてしまいました。膣内で振動するバイブレーターは、前後に動かされなければ、次第に処女喪失の痛みを麻痺させ、痛みの中に快感を生じさせていきました。でも、時々教授が前後に激しく動かすので、
「ヒイッ!ヒイッ!」
と、私は痛みに体を捩っていました。

こうして私は、バイブレーターに処女を捧げて被虐実験が始まったのです。


後日、教授に呼び出されたおさげ髪の私は、例のマンションで今度は裸にされました。教授は、初めて見る私の身長156cm、80-57-81の貧相な全裸に、

「フッ、貧乳だな。19歳なのにまるで子供みたいな体だな。」

私がコンプレックスを抱いている貧乳に触れられて、恥ずかしくて顔を真っ赤にしました。すると教授は、私をX字の磔台に縛りつけ、今時懐かしいアルミ製の洗濯バサミを取り出し、私の小さな乳首を挟みました。

ツーンと痛みが走ったところにバイブレーターを取り出して、洗濯バサミに振動を与えました。

ビビ、ビビビビ・・・いわゆるイタキモです。何ともいえない切ない快感が襲い、モジモジしてしまいました。

「フフ、これ、ピンクローターって言うんだぞ。これを洗濯バサミに取り付けてと・・・こっちもやるか。」
そう言うと、洗濯バサミでクリトリスを挟みました。

脳天に突き刺さるような痛みに、思わずビクンと撥ねました。どうやら、そこにもピンクローターというものが取り付けられたようでした。

ビイーーーーーという音と共に、痛さと気持ちよさが入り混じる切ない快感が全身を包み、私は磔にされたまま悶えました。

教授は私が切ない快感と戦っている姿をハンディカメラで撮影していました。私は何度も気を失いかけ、最後は気絶して磔台にだらしなくぶら下がったようです。

気がつくと、教授が私に覆いかぶさり、陰茎を私の膣内に挿入して腰を振っていました。初めて経験する性交でした。処女膜はバイブレーターに破壊されていましたが、それでもまだ痛みがありました。

でも、教授の陰茎は硬く冷たいバイブレーターとは違って人間の交わりを感じました。

激しく教授に体を揺さぶられ、引き抜かれた陰茎が私の顔に向けられて精液をかけられました。男性が射精するのも精液を見るのも初めてで、ただ呆然としていました。

「ホレ、よく見なさい。百合が初めてチンポをマンコに受け入れた記念すべき動画だ。」

気絶している私の膣口に、白髪交じりの教授の陰茎がめり込んでいきました。

教授の陰茎が出し入れされて暫くすると、教授の陰茎が少し赤く染まっていきました。処女膜の残りなのか、それともバイブレーターで出血した場所が完治していないのか、大した量ではありませんが私の愛液にも血が混じっていました。
教授の陰茎が抜かれると、ポッカリと膣口が口をあけていました。



3 
珍しい体験ですね。細大漏らさず報告お願いします。



4 
いつ頃のお話でしょうか?



5 
清純で朴訥、性交歴のない大人しい女の子。
純情な見かけでも実は変態的な妄想癖を持っていて、最も被虐性癖を開拓しやすい素材。
教授はそれを見抜いていなさる。



6 

今年の12月に私は27歳になります。
なので大学2年は7年前のお話になります。

私は週2回、おさげ髪のセーラー服少女姿で貧相な肉体を陵辱されていました。
「お前はペチャパイだから、上半身は脱がんでよろしい。セーラー服を着たままで構わんよ。」

私は下半身だけ脱がされて、何度もバイブレーターで逝かされているうちセックス以外の事を考えられなくなります。

「教授のおチンポ様を入れてください。私のオマンコにおチンポ様をぶち込んでください。」
そう言えば、やっと教授の陰茎を入れられます。教授は私の感じる場所を知っていて、陰茎で集中攻撃されますが、逝きそうになると焦らされてを繰り返して徹底的に嬲られます。

「お願いします。逝かせて下さい。教授のオチンポ様で私を逝かせて下さい。」
と懇願します。そして教授の陰茎が入ってきたら、もう痙攣が止まりません。自分から腰を振って、膣壁に陰茎を擦り付けます。心身ともに調教された私は、セックスの快感で感情も理性もなくなります。ただ、淫らに快楽を貪る淫女になります。

私は、おさげ髪にしてセーラー服を着ると、切ない純情とマゾの欲情が絡み合い、虐められる快感とバイブの刺激による快感を勝手に期待するようになりました。おさげ髪とセーラー服は、マゾへのスイッチでした。

大学3年が終わる頃には、私は膣だけでなく、肛門でも教授の陰茎を受け入れるようになっていました。生理の時や、膣外射精の場所として、私は肛門を調教されたのです。

セーラー服を着て四つん這いになった私の肛門に、シリコン製でピンポン球より一回り小さいボールが10個くらい連なった物を一つずつ入れられました。8個くらい入れられると、ボールが抜けないように肛門を締めろと言われて力を入れても、ゆっくりボールが引き抜かれます。

ポコッと出てしまうと、
「もっと力を入れて、ボールと戦え!」
と叱られて、連なったボールを前後に動かされます。肛門だけでなく、お腹の中も刺激されてウ○チを我慢するような切ない感覚になって、
「アアァ~~~、ごめんなさ~~い~」
と泣きべそをかいてしまいました。

それでも、ポコッポコッポコッとボールが引き出されてしまい、その都度感じる肛門の括約筋を刺激しながらすり抜けるボールの感触が変な気持ちよさを伴って、
「アアン、アアン」
と喘いでしまいました。回数をこなすにしたがって、それは何ともいえない快感となり、次第に教授の陰茎でその快感を感じてみたくなりました。

肛門と膣、二つの穴を同時に塞がれると、逝っても逝っても逝ききれない思いで気が狂いそうになりました。
逝ってしまっても責めを止めないで欲しいと願い、いつまでも感じていたい、逝き地獄に身を投じる事ができるなら、何でも言う事を聞く真性マゾになりました。



7 
やだ、読んでるだけで濡れてきちゃう。



8 
教授に、シリコン製の柔らかいボコボコした淫具を渡されて、ワンワンスタイルで肛門にそれを入れてオナニーさせられました。おさげ髪のセーラー服少女が、スカートをまくって肛門に淫具を出し入れして、
「ハアーーーー、ハアーーーー」
と吐息を漏らす様子も、教授にビデオカメラで撮影されました。みっともない行為を撮影されただけで、膣口から透明な液を溢れさせていました。

教授に連れられて、山奥の小屋に連れて行かれたこともあります。昔、炭焼き小屋だったであろうその小屋で、私は仰向けで足を抱えて肛門を晒し、巨大な浣腸で牛乳とヨーグルトの混ぜたものを注入されました。

そして肛門には更に、ゆで卵、ソーセージ、ウズラの卵を入れられて、プラグで詮をされて沢に連れ出されました。

ちょろちょろ流れる沢を跨いでプラグを抜かれると、上半身セーラー服のおさげ髪少女が排泄を必死で我慢していましたが、肛門から白い液体と共にウズラの卵をポロポロ出して、ブリブリッという音と共にソーセージをニョロニョロ出して、最後はゆで卵が顔を出し、スポンと抜けるとジャーっと白い液体に混じって茶色い物体も沢に流れました。

とても他人には見せられない恥ずかしい排泄シーンも、教授はしっかり撮影していました。

私は、肛門と膣の両方に淫具を入れてオナニーするセーラー服少女も撮影されています。淫具が膣壁と腸壁を隔ててぶつかり、あまりの快感にブリッジして腰を振り、最後はおさげ髪が解けるほど首を振って逝ってしまうのです。

もちろんその後は、教授の陰茎で膣壁を打たれ、最後は後背位で肛門で精液を受けるのです。編集した映像を見ると、肛門からダラダラと精液を垂れ流す女の子は、目にモザイクがかかっていましたが本当に高校生に見えました。

自分で言うのもなんですが、セーラー服におさげ髪の私は、地方に住む清純そうな女の子に見えました。

そんな変態マゾ調教も3年が過ぎ、卒業する時がやってきました。
教授にお仕えする最後の夜、セーラー服を全て脱がされ、お下げ髪を解かれてベッドに横たわりました。

3年間責められて、変色気味の陰唇を摘んで開かれ、優しくクンニリングスされました。穏やかな快感に包まれながら、小さな胸を揉まれ、乳首を摘まれ、快感で膣口が濡れていくのを感じました。

教授の陰茎を頬張り、それを膣内に埋められました。ゆっくり、私の膣壁を触診するようになぞられて、私の体は宙に浮いていきました。羞恥もなく、脳天を貫く快楽はありません。逝きそうになったら焦らされる事もなく、そのまま快感にまどろむように逝かされました。

「百合、これが普通の愛のあるセックスだよ。もう、お下げ髪をしちゃだめだよ。セーラー服を着ちゃだめだよ。魔法がかかってしまうからね。」

教授は、卒業する私にかかった魔法を解いて、送り出してくれました。
別れ際、ハンガーにかけられたセーラー服を見て、今度はどんな女の子があれを着るのかな?とぼんやりと考えていました。



9 
つかぬ事をおききしますが、おさげ髪ってどんな髪型だったっけ?



10 
まだ付き合ってる頃、ウチの女房が三つ編みでロリ○タコスプレしてて、「あらー可愛いお下げ髪ねー」って言われた事があるからたぶん三つ編みの事だと思うよ。



11 
卒業して手記は終わり?
ストーリーの終わりにしては、中途半端な気がするんだが。
ビンちゃん達のコスプレの話も利きたいぞ。



12 
そうですね、おさげ髪は三つ編みの事です。手記としては以上で終わりです。
その後の事も書きますが、以下は手記ではありません。

大学を卒業した私は、故郷の大手量販店に就職し、本社で商品管理の仕事をしていました。
就職して2年目の終わり、隣町の店舗へ異動の内示が出た4歳年上の男性に、
「俺、ずっと百合ちゃんの事可愛い子だなって思ってたんだ。俺、百合ちゃんが好きなんだ。気持ちを伝えないまま異動したくなくてね。もし良かったら、交際、考えてくれないかな?」
と告白されました。

男性に告白されるのって初めてで、耳で心臓の鼓動が聞こえました。それに、私もこの優しい男性をいい人だなって思っていました。なので、交際する事を承諾しました。彼は、飛び上がって喜んでいました。

毎週末、彼とデートを重ねて3ヶ月、ついに体を求められました。気持ちは抱かれたい、でも、私はマゾ調教を受けたの過去を持つ女、葛藤が爆発しそうでした。いっそ、全て白状してしまおうかと思いました。

「あの・・・私・・・大学の頃・・・その・・・」
「あ、彼氏いたんでしょ。そんなこと気にしないよ。こんな可愛い百合ちゃんに彼氏の一人や二人いたことなんて、普通に考えられるもの。」
危うく白状しそうなところでした。

私は彼とラブホテルへ入りました。
私にとって2人目の男性、裸を男性に見られるのも2年3ヶ月ぶり、
「私、ペチャパイで貧相でしょ。」
「可愛い百合ちゃんにお似合いの可愛い体だね。守ってあげたくなるよ。」
そう言いながら、乳首を舐められました。好きな男性に乳首を舐められる快感は、陵辱のそれとは違いました。イタキモではなく、くすぐったい気持ちよさでした。

そして、彼に股間を割られて、3年間陵辱されて変色気味の陰唇を見られました。マゾ調教で苛め抜かれた陰唇を好きな男性に見られて恥ずかしくて、それだけでジンワリしてしまいました。

「やだ、恥ずかしいからあんまり見つめないで・・・」
そう言うと、
「やっぱり、可愛い百合ちゃんのまだ純情だったココを舐めた男に嫉妬しちゃうなあ。」
と言いました。

やっぱり、マゾ調教で変色気味になった私の陰唇を見て、彼以外の陰茎で滅多突きにされて喘いだ私を想像したのでしょう。実際は喘いだどころか、彼の想像をはるかに超えて性の快楽に乱れ狂っていましたから、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

彼に陰唇を開いて舐められました。膣口を舐められ、そしてクリトリスをくすぐられました。教授に洗濯バサミで虐められて赤く腫れあがっていたクリトリスに、優しい愛情が注がれていきました。

彼の陰茎を口に含んだら、教授に教えられたように少し吸いながら舌で亀頭を中心にマッサージをしてしまいました。

「ああ、き、気持ちいい。百合ちゃん、そんなことまで仕込まれたのかい。」
と言われてハッと我に返りました。私は、顔を真っ赤にして俯いてしまいました。

「ご、ごめんよ、俺を気持ちよくさせようとしてくれたのに、余計なこと言っちゃったね。」
やっぱり、体に刻まれたマゾのご奉仕精神が抜け切れていませんでした。

教授はいつも生の陰茎を入れてきましたが、彼はコンドームをして私の中に入ってきました。硬い!そう思いました。50代の教授の陰茎に比べてはるかに硬く、長さもあって奥を刺激しました。

硬いと言ってもバイブレーターのような温かみのない硬さではありません。膣内を抉られるように刺激され、私は2年3ヶ月ぶりの性の快楽に耐えていました。

”今ここで、淫らに喘いだら、マゾの血が騒ぎ出してしまう。私はおさげ髪じゃない、セーラー服を着ていない”
自分に言い聞かせながら、時折漏れる喘ぎ声を必死で制御していました。

でも、限界でした。ついに私は堰を切ったような快感の波にさらわれて、激しく喘いだようでした。気がついたら、彼の腕の中で頭を撫でられていました。

「百合ちゃん、感じやすいんだね。俺、女の子が逝ったの、初めて見た。俺に抱かれて逝ってくれるなんて、男冥利に尽きるなあ。」

彼は、私が異常な被虐快楽を仕込まれたとは思っていませんから、素直に喜んでいました。

私は、彼に抱かれるたびに蘇る激しい快感を必死で抑えようとすればするほど、ますます恥ずかしい姿を晒し、その羞恥が更に私を淫らにさせて、逝ってしまうのでした。

交際して2年、私は過去に受けた3年間のマゾ調教で汚された体で、6月に彼のお嫁さんになります。
淫情に狂った日々と、肛門でも感じる変態マゾだった事を隠して、清純で可愛いお嫁さんを演じるのです。
だから、卒業する時に記した被験手記を活字にして投稿して、手記はシュレッダーにかけたのでした。



13 
撮影された調教動画、どこかで売られてる可能性もあります。
モザイクかけても、ご主人が見れば自分の妻だと分かります。最悪の事態を覚悟して生きることですね。



14 
ネカマ

誰にも言えねーなら

こんなトコに書くな



15 
女房は百合さんよりチビで153㎝、顔は笑えるほどの童顔、俺が26歳の時に出会ったんだけど、21歳の女房をてっきり中○生だと思った。付き合う前に知ったんだけど、21歳で可愛い顔してるからモテたんだろう、元彼の人数は3人だった。

女房は3人の男に抱かれた中古だが、百合さんはハードな使用歴はあるけどワンオーナーの中古と考えれば悪くないんじゃない?イマドキ経験人数1人で二人目の男と結婚する女も珍しくないかい? 女房はツインテールや三つ編みで、中坊ファッションでデートしたんだ。面白かったよ。職質されたこともあった。

幼馴染のカップルは双方の両親も公認の許婚になって、お互いの実家にお泊りもOKだった。女房が19歳の時、東京に遊びに行って、ロリ○タAVモデルにスカウトされたこともあった。

もちろん断ったけどね。俺28歳、女房23歳で結婚、エッチばっかりしてたから11年の間に子供3人も出来ちゃったよ。



16 
百合様
標題が間違っていますね。『被験手記』『実験の被験者』『被虐実験』ではなく、単なる『サド教授のマゾ調教』ですよね。実験なら、学問的な研究があるはずだから。

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