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宝くじ売り場でこの世で一番大切なものを手に入れた話 3

主治医から規則正しい生活することが、癌や副作用に対しても有効と聞いていたので気合で生活態度を改めた。
為替相場は基本的に夜に参加してたから昼と夜が逆転気味だったのだ。

彼女の料理は正直下手だった・・・w
洗濯などは普通にできるんだけど、なんか、包丁の持ち方は危なっかしい。
聞いてみると今まで料理した経験があまり無かったんだそうな。

でも、彼女は要領が良いのもあって、すぐに上手くなっていった。
俺は一人暮らしで自炊してたので料理には自信があった。
というより、料理作ること自体がかなりの暇つぶしになってたのもある。

カレーを作るにしてもルゥーではなく、スパイスから作るほどだった。
それに一時期、料理教室にも通ってたこともあるぐらいw
なので、そこらへんの主婦よりはうまいのを自負している(ドヤッ

2回ほど彼女と料理勝負をしたことがある。
ルールは簡単で同じ料理を作り、お互いに食べあうのだ。
1度目はオムライスで圧勝した。
っというより、彼女のはオムライスの形にもならなかった・・・orz

そして、問題は2度目である・・・
彼女はチャーハンで勝負をしようといってきた。
っても、チャーハンの素を使うことを条件にしてるので、卵炒めて素をかけて炒めるだけのなんの捻りも無い勝負。

ある程度の作業量があって、プロが作らない限り表面上誰が作ってもあまり美味しさは変わりなさそうな料理である。
彼女はこの勝負なら勝敗がつかないと思ったらしい。
意外とずる賢い彼女であるw




でも、ここで勝負の境目となりうるのがご飯粒の粘度であるw
正直、日本人が食べるジャポニカ米はペチャペチャしてるのでチャーハンにはあまり向かず美味しくない・・・
だが、慣れてしまってるので違和感はあまり感じることは無い。
でも、知っている人も多いと思うがここでマヨネーズを入れると、ご飯粒があっさりと仕上がるのだ。
ここでも勝ってしまった・・・

それ以来彼女は勝負してくれない・・・w
実は、同棲中に前に体の関係を持っていた事があった女性と彼女が鉢合わせした事件があったのです。

んで、その女性のスペック
年齢は22才で(当時)
5才の子持ちのシングルマザー(俺の子供じゃないですw)
安田美沙子を幼くしてアヒル口を足した感じの女の子。

その安田さんとは、結果から見てしまえば割り切りのような関係だった。
ようなというのは正確には違ったし、お互いに事情もあった。
別にやりたくてやっていたというよりも、お互い依存し合っていた関係なのかな?

彼女には前述どおり子供が居たんだ。
父親は彼女が妊娠したのを知ると逃げてしまったが、1人で生んで育てることを決心したらしい。
でも、パートだけじゃ子供を養っていけないってことで、彼女は経済的な面で・・・

俺は前述どおり精神的な面で依存しあってた。
正直、彼女はかなり容姿がいい。
やろうと思えば風俗でその店のTOPにもなれたんじゃないかと思う。
でも、子供が居る事もあって風俗の仕事をしたくないとの事。
だから、彼女が就職できるまで一緒に働いていた事があったんだ。

んで、彼女(亜樹)に会うちょっと前に彼女は就職できて、彼女(安田さん)に振られてから、会ってなかったし、彼女(亜樹)に会ってからはこのように色々あった事もあり、すっかり忘れていた。

そんな安田さんが子供の成長具合を見せに顔を見せに来てくれたんだ。

安田(娘)「ぱぱぁー♪」
亜樹「えっ?」
俺「おぉーwwwあw ・・・↓↓」

安田「もしかして、不倫してるの?」←演技

そのとき、彼女(亜樹)には汚物のようなものを見る目でみられry
なんとか、安田さんに事情を話してもらい、誤解は解いてもらいましたがw
でも、今はないとはいえ実際に体の関係はあったので、かなり冷や汗が出ました。
っていうか、演技が上手すぎて本当に不倫関係に見えた・・・

この5週間は、メンタル面において今までの人生で一番成長できたんじゃないかって思う。
普通であることへのありがたみ。
朝起きて乳があることへのありがたm(ry

自分が今まで怠惰に過ごした日は、どれだけの人が願っても過ごすことのできなかった未来であること。
そして、一番見てて思ったのは彼女の家族の絆が見てて懐かしく思った。
中学時代は優しかった祖父を思い出し、初めて実家と向き合おうと思った。

でも、今まで実家に対して関わりを持つ際、何をするのにも言い訳ばかりして回避していた俺。
すぐ向き合うことはできなかったんだ。
っというより、何をして良いのか分からなかった。
そんな彼女は俺に対しこう言ってくれた。

彼女「問題点を書き出してみれば自ずとゴールまでの軌跡が見えてくるんじゃない?」

その言葉により、まず、問題点を書き出してみた。

・受かるはずの大学にもすべて落ちる(適当に受けたのです・・・)

・祖父激怒
「お前なんて出て行けー」

・両親はなんとか味方してくれ、予備校に通うために上京

・1年目は仕送り来たが受験意欲が無いのがバレ、2年目からは仕送りなし

・連絡取らずにフリーター・・・www←今ここ

我ながら底辺っぷりが半端無いですね。
そう・・・
大学に受かれば勘当を解いてもらえるかもしれない・・・
そして、病気と戦っている彼女を見て、自分も何か挑戦しようと思っていたのもあって、いい機会だと思い大学受験をすることにした。

やっぱり彼女は俺にとってのトリガーだったのだ。
でも、いくら進学校に通っていたとはいえ、高校卒業レベルにしか勉強しなかった自分が、卒業して2年ほどたってから勉強するのはきつく、怠けて夜は勉強せずに眠っていたりし。た
そんなとき彼女はよくこう言ったものだった。

彼女「今、居眠りをすれば、翔は夢を見る。だけど、今学習すれば翔は夢がかなうであろうw」

名言だと思った。
だけどこれも誰かの受け売りらしい。
自分が見ている限りでは気丈に振舞っていたが、やっぱり感情の浮き沈みは激しく、辛そうだったがこんな生活も5週間という長く思えた闘病生活も、今思うと長くもあり・・・
でも振り返ってみるとあっという間だった。

んで、手術の日
俺は彼女とある約束をした。
そして、気の利いたことを言おうとして頑張ってみたけど

俺「成功するように祈ってるから」
 「信じるものは救われるんだろっ」(泣きそう
彼女「当たり前じゃないww」
・・・
逆に励まされたったーwww・・・orz
もうどっちが支えているのか分からなかった。
それに、今までずっと頑張ってきた彼女に頑張れなんて言えなかったんだ。

手術中、俺は彼女との約束を果たすために、病院を出て実家に電話をしていた。
久しぶりの母親の声に一種の郷愁を感じるも、彼女の手術中ってこともあってか機械的な単調な感じで、今年はまじめに受験することを報告した。

母はそんな受験のことなんてどうでもいいかのように、日常の生活について心配してくれ、味方をしてあげられなくてごめんとも言われ号泣してくれた・・・

嫁に来た立場だから祖父に楯突けないのはしょうがないと思いつつも、実際は愛されてないんじゃないかなんて考えたときもあったから、色々な意味で泣きそうになってたと思う。

母親のこんな感じもあってか受験が終わったら実家に帰ることを決意した。
そして、彼女の病室へ
癌の検診のときもそうだったけど、この日が一番長く感じた。

俺は病室で確率の参考書読んでにらめっこしてた。
手術の結果は成功。
でも、これが乳がんの怖いところで5年間はホルモン療法をしないといけないために薬を飲まなくちゃいけなかった。

でも、聞いたところによると、術後の薬は生理が遅くなるぐらいなので大分ましだとのこと。
手術を終わった後に、実家に挨拶する事を伝えると、手術のことなんて忘れてるかのように喜んでくれた。
っというより、はしゃいでた感じかな?

んで、今まで書いた中で心残りだったのが、周りの人の考えかたかな?
周りの人は俺が彼女を支えてきたって言ってるけど、実は逆でっていうwww
彼女の家族からもすごく感謝されてしまって・・・
逆に支えられていますなんて言えなかったし、例え言ったとしても社交辞令として受け取られるだろうから言わなかった。

これが少し心に蟠りとして残ってる。
そして、退院してからも同棲は続けました。
平日は、受験勉強をして週末は、彼女は実家に帰る・・・
こういった習慣になった。

そして、手術が成功してからの5年間は、なんと言って良いか分からないけど、目隠しをされて、落とし穴があるかどうか分からない道を歩かされてる感じだった・・・
彼女の場合は3ヶ月ごとに検診があったんだけど、その検診が過ぎるたびに、
あと、6回、5回、・・・2回、1回っといった感じに毎回カウントしてた。

そして、検診が終わって何も問題が無かったら、ちょっと豪華なもの作ったり食べに行ったりとか。でも、精神的に弱かった俺は万が一のことを考えて思い出作りに旅行に行ったりなどしようとか、たまに言ってしまったんだ(思い出作りとはもちろん言ってない)

彼女「なんで?まだ収入は安定しないんでしょ?
旅行なんていつでもいけるじゃない」
俺「いや・・・なんか行きたくなっちゃって」
彼女「もしかして・・・やめてよ私は大丈夫だから」

っといった感じで泣き笑いながら言ってくれた。
でも、それ以外のときはあっけらかんとしてたので、俺も顔に出さないように気をつけた(絶対、出てたけどww)


そして6年後の今日
幸い癌の再発は無かった。
それに、過ぎてみれば抗がん剤のときの5週間と同じで、本当に楽しい時だった。
彼女とは退院後からずっと同棲を続けていて、大学を卒業してからは、ずっと俺のことを支えてくれています。
もう少ししたら、経済的にも安定するから結婚したいと思ってる。

今まで支えてくれた分、彼女に色々な世界を見せてあげられたら・・・
いや、一緒に見ていけたらと思ってる。
6年も待たせてしまったから。

最後に実家との関係ですが、やっぱり祖父には許して貰えなかった・・・
というより、その年の11月に心筋梗塞で亡くなったのです。
大学入学なんてものを待たずに取り合えず、土下座でもして謝っとけばよかったってね・・・
急死したとの報告を受けた際に俺は泣いてたので、なんだかんだで尊敬し、好きだったのかもしれません。

彼女と遇えたのも祖父のおかげといっても過言で無いですし。
そんで、受験することへの意義もなくしそうになったのですが、彼女に一緒の大学に行こうよって言われて悩殺。
結局、計画通りに目指すことに。
簡単なやつですねー(白目

そして、癌になった事についてだが、今思うと決して悪い事ばかりじゃなかった気がする。
まぁ、治ったからという結果がもちろんあるからだけど
癌を克服したおかげでチャレンジ精神が付いたというのかな・・・
(別に自分が克服したわけじゃないんですけどw)
ポジティブに見られるようになった気がする。

これを読んでくれたみんなに彼女みたいに、どこからか引用した名言を言い残したいと思う。
偉そうになってしまって申しわけないが是非、聞いて欲しい。
それはこの言葉

「失敗を失敗で終わらせない人が天才であり、それに気づかない人は凡人である」

天才とか凡人って言葉が嫌いな人は、成功者とかで自分の好きな言葉に代替してみて欲しい。
(俺もあまり好きじゃない)
要するに、失敗しても失敗で終わらせず、成功するまで続けろって意味ですよね。

俺はそれは天才が言うから意味を持ち、平凡な人にこんな言葉を送ったところで意味が無いと思っていた。
英語が得意な先生が英語が苦手な生徒に英語を教えられないのと同様に・・・

でも、よくよく考えてみると違うと思った。
俺はこんなNEETみたいな生活送ってるけど唯一、今のところだけど成功しているものがある。

それは、今まで読んでくれた人なら分かると思うけど投資関連である(主にFXだけど)
一気に莫大な利益とかは上げてないけど着実に勝っている。

それは、今まで10年以上ローソク足を追っかけたり、約20年の過去のユーロ/円を手書きでチャートを書いたり研究したりしたからだと思う。
最初は祖父に褒められたい一心で始めたものだけど、徐々に好きになっていった。

まぁ何が言いたいかと言うと、才能ある人間というのは、ぶっちゃけてみれば、自分に向いてるものを見つけた人のことを言うんだから
だから、若いうちは何でも挑戦してみて欲しいと思う。
俺も色々挑戦中ですしw

よく1つの物を極めろ!とか
多趣味は人は他人のために生きているとかって偉そうに自己啓発の本やセミナーで講義している人がいるけど、それは違うと思う。

20~30代は何を挑戦したって良いじゃない・・・
30~40代ぐらいから自分で合うと思った好きなものを極めていけばと思ってる。
人間誰しもが1つの道に定め進めるわけじゃないんだから・・・

ーーーーー完ーーーーーー

<番外編あり>

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